研究概要について;理念

 私は、医学研究には患者を治すという明確な目的がある、と考えています。思わぬ偶然から大きな発見が生まれるのは、確かにその通りです。しかし、それは何も目指さないで生まれるわけではありません。私は、高校生の頃英語の読本で、著名な科学者が「私は砂浜で無数の貝殻の中から美しい貝殻を拾ったに過ぎない。」と書かれてあるのを読み、著者が謙遜であると思う以前に、「そうではない。」と強く思いました。確かに研究は実利を離れて孤高であるべきですが、現前に苦しむ患者を前にしての医学研究は違います。医学研究は必ず患者の利益につながるべきであると、そう考えてこれまで実践して来ました。

 私の場合動機は、病因を解明したいという熱い思いでしたが、医学に限らずどの分野においても、ひとは若い時分に自らの前に出来る限り高い壁を設定し、これを乗り越えるべく努力する中で、はじめて成長します。闇雲に努力するからこそ、アスクレピウスの灯が垣間見えて、セレンデピュイティーすなわち発見の賜物にも遭遇するのだと思います。この闇雲というのが、実は非常に大切で、闇雲すなわち限界まで行って、もがき抜いてはじめて工夫が身に付き、進歩が生まれます。私は実体験を通じて、これがゼロから出発して満点に至る(おそらくは唯一の)道であることを知っています。このことはしかし、考えてみると不思議で、理論だった説明は難しいけれど、未知の荒海に漕ぎ出すには、既存の羅針盤は役立たない。既存でない工夫すなわち真の創造には、小賢しい才覚など役に立たず、自らの心を灯とし、自らを信じて、単に頭脳ではなくいわば体を張って全身全霊をもって、正しい方向を目指さないと目標に到達できない、ということなのかと思います。脳のシグナルネットワークがそのように出来ているからに違いありませんが、脳細胞も設計図通りでなく動的に生滅・離散集合を繰り返していますから、限界に立ってはじめて未来が切り拓かれる、これが「いのち」の姿なのかも知れません。

 さて、リウマチ膠原病の病因は不明とされています。いわゆる自己免疫疾患ということが巷に信じられていて、この五十年の間ずっと、自己免疫を誘導する自己抗原は何か、などが研究されて今日に至っています。しかしながら私達は、これもセレンデピュイティーの賜物かも知れませんが、原因不明とされた全身性エリテマトーデスSLEが、自己免疫に因らず、外来抗原の繰返し刺激に対する正常ないし通常の免疫応答の結果生じること(すなわち、異常あるいは病的な免疫応答の結果ではないこと)を見出しました(Tsumiyama K et al. PLoS ONE 4(12): e8382, 2009)。このことは、一見大したことではないように思われるかも知れませんが、実は非常に重要で、天動説に対する地動説の如く、考え方の根本が正反対になります。SLEにおいて自己に対する免疫応答(自己への攻撃)が生じるのは、病的状態だから、と考えるのが自己免疫説です。しかしながら、正常の免疫応答によって自己に対する免疫応答が、いわば結果として生じる、ことを私達は見出しました。すなわち、リウマチ膠原病においてみられる自己免疫現象は、あくまで(正常の免疫応答の)結果であって、原因ではないということです。

 自己免疫疾患説は、SLEを惹起する自己応答性T細胞が、①胸腺の選択を逃れた一部のT細胞あるいは②一旦胸腺を通過して自己に非応答性となったT細胞集団の中から免疫寛容が破綻して生じると説明します。ところが、これらはいわばバリアーをすり抜けたT細胞ですからそのT細胞受容体のレパトワは明らかに限定されていて、SLEで140種類もの多彩な自己抗体がみられる理由が説明できません。というのは、多様な自己抗体が生じるには、抗体産生の過程にランダムなプロセスが組み込まれていなければならないのです。胸腺の選択を逃れた一部のT細胞は、あくまで一部ですから、レパトワすなわちその受容体の数は限定されています。免疫寛容の破綻も、当該抗原に対して応答性を失ったリンパ球が再び応答性を獲得するということですから、そこで獲得された自己応答性はあくまで当該抗原に限定されていて、したがって免疫寛容の破綻によっても多彩な自己抗体は産生されません。

 これに対して自己臨界点説は、胸腺を通過して一旦は自己に非応答となった大部分を占めるT細胞集団の中から、V(D)J遺伝子再構成を経て新たに自己応答性T細胞が生成すると主張します。V(D)J遺伝子再構成という機構は、リンパ球が多様性を獲得するために進化の過程で獲得した必須の機構で、抗体産生応答に「ランダム性」を付与します。このV(D)J遺伝子再構成によって、私達は未だ出会ったことのない未知の抗原を含むあらゆる抗原に対処できるのであり、実際抗体分子はその一端(V領域)がきわめて多様性に富み、あらゆる抗原に結合できます。それは、一個の抗体分子のV領域が変形性に富むからではなくて、各々の抗体分子ごとに抗原結合部位の構造が異なり、抗体一分子はある抗原にしか結合できなくても、からだの中の抗体の総和として多様に富んでいるから、あらゆる抗原に結合できるのです。一人の戦士が多彩な武器をもって敵に挑むのではなく、異なった武器をもった戦士が集合してあらゆる敵に挑むのです。

 抗体分子のV領域のアミノ酸配列の多様性は、この部分をコードする3つの遺伝子群すなわちV, D, J遺伝子の組み合わせによって生じます。すなわち、H鎖のV遺伝子は40個、D遺伝子は25個、J遺伝子は6個あって、その一つずつが選択されてV領域が作られます。したがって、計算だけでもH鎖片方だけで40x24x6=5,760通りの異なった組み合わせが生じることになります。

 このような多様性を生むV(D)J遺伝子再構成機構は、あらゆる病原体に対抗できる点で生体防御応答には有利ですが、これがもし成人の体内に生じると自己抗体が容易に出来て却って危険ですから、V(D)J遺伝子再構成は成人の末梢リンパ臓器においては生じないようセットされています。ところが私達は、このV(D)J遺伝子再構成が抗原の繰返し刺激の結果生じることを見出したのです。

 抗原の繰返し刺激についてみると、私達は麻疹(はしか)に二度罹らないことを知っています。二度目は感染を水際で食い止めると、誰もがそう考えています。しかし、その水際は何処か?皮膚ではないはずですから、ウイルスは二度目も体内に侵入するが、臨床症状を示さないのです。すなわち、初回感染では免疫防御システムが型通りきっちり作動して典型的なはしかの症状が出て、容易にはしかと診断されます。しかし二度目は、麻疹ウイルスに対するCTL(細胞傷害性T細胞)がメモリーに入ってダウンしていますから、典型的症状を示さず、したがってはしかと診断されないのです。ここが臨床医学の盲点で、麻疹ウイルスが毎常侵入していても、臨床所見がないと診断できません。それでも、病原体が繰り返してからだに侵入していることは、風疹ワクチン接種を受けなかった世代の若者が成人になって次々と罹患している事実から分かります。

 現代に生きる生命体は、急性感染には敏感ですが、慢性感染を容認する傾向にあります。その理由は進化の過程にあります。生命体にとって、進化上の成功はnの拡大すなわち種の再生産です。再生産のために重要なのは生殖年齢まで生き延びることですから、私達は腫瘍遺伝子を体内に取り込みひたすら増殖に賭けて来ました。また反対に、強力過ぎる病原体に対してはその遺伝子を体内に取り込み自己化することで強い相手と妥協を試みてきました。病原体が侵入するとpathogen-induced tissue injuryが生じますが、これに対する防御応答の結果defense-induced tissue injuryが生じ、自分のからだが防御応答の戦場になるから、強すぎる防御応答も有害です。この両者とも生命体には進化上不利ですから、私達は病原体を感染症を発症しない(すなわち感染による臨床的不具合を呈さない)レベルに抑え込むがこれを「徹底的には殲滅しない」いわば妥協に満ちた防御機構を備えるに至ったと考えられます。このように、私達のからだに生じた炎症は現実には完治しにくく、身体に致死的でない病原体が侵入を繰り返しやすい素地があるのです。そして、たまたまある病原体がHLA上にうまく抗原提示されてリンパ球が過剰刺激されることになればSLEに至ると考えられます。この際、原因となる抗原は個々人の免疫システムの個性によって違っていてよいが、個人の免疫システムが自己臨界点を超える過剰刺激を受けた結果破綻する(自己臨界点を超える)か否か、すなわち当該抗原が個人のHLA上に抗原提示されて過剰刺激となり得るか否か、が発症の分かれ目になり、同じ病原体に暴露されても、発症する人としない人が分かることになります。

 SLEでは140種類を超える多彩な自己抗体が同一患者においてもみられます。こうした多彩な自己抗体が、(1)胸腺の選択を逃れた一部のT細胞あるいは(2)胸腺を通過して自己非応答性となったT細胞集団の中から免疫寛容が破綻して生じた一部のT細胞などの限定されたクローンから生じるとする説明には無理があります。むしろ、抗原の繰返し刺激の結果末梢でV(D)J遺伝子再構成により新たなTCRが獲得されて生じると考える自己臨界点説の方が自然です。自己臨界点説は、免疫系がシステムとして動的に安定を保つ中、システムの安定性には限界があって、抗原による自己臨界点疫システムの安定性の限界を超えた過剰刺激(外乱)が働くとシステムが破綻して、自己応答性のautoantibody-inducing CD4 T cell (aiCD4 T cell)が生成し、このaiCD4 T細胞が、一方で多彩な自己抗体を誘導し、他方でCD8 T細胞を刺激して組織傷害を生起させてSLEを誘導することを示しています。

 Mackay & Burnetは五十年以上も前に、SLEにRAなど他の膠原病を加えて自己免疫疾患として括りました。しかしよくみると、他の膠原病とSLEはかなり違っていて、みられる自己抗体は多くても数種類です。したがって、生じた抗体は感染原に対して直接産生された抗体である可能性があると私は考えています。病因不明とされたギラン・バレー症候群の原因がCampylobacter jejuni感染症であることが証明済みですが、これと同様に、RAなどは感染と感染原に対する防御応答に起因した強い炎症ではないか?すなわち、SLEがいわばaiCD4 T細胞病であるならば、RAなど他の膠原病はV(D)J遺伝子再構成に至らないレベルの、強い炎症という推定が成り立つと思うのです。そして、RAが強い炎症であれば、炎症性サイトカインを抑制する現在の治療は単に対症療法でなく根治療法である可能性があるということになります。疾病の概念が変わるのです。

 当社では、自己応答性のaiCD4 T細胞の単離すなわちCDナンバーの特定を急いでいます。aiCD4 T細胞が同定されれば、その有無あるいは数によって疾患を確実に診断し病状を定量的に把握することが可能になります。このことは、臨床的にもまた研究上も重要で、SLEを起こすaiCD4 T細胞の本体が解明されることになります。また、SLEの臓器傷害が生じるには、外来抗原がCTLを誘導するための抗原のクロスプレゼンテーションantigen cross-presentationが必須ですが、私達はこのクロスプレゼンテーションを司る分子を同定しています。患者さんの中には同じ病態であっても、臓器傷害がない人、軽い人あるいは重症になる人が分かれますが、それらは抗原クロスプレゼンテーションの仕方に起因すると考えられます。その分子は必ずやHLAの如く人類集団間で多様性variabilityに富み、CTL生成にかかる個人差形成を約束する新しい重要な分子であるはずです。

医学の要諦について思うこと

 患者は生死を前にして病気の科学的説明だけで納得できるのか?私なら、納得できないと思います。医学は科学を基盤としていますが、科学だけではありません。科学は事実(審判)の世界であって、冷たい一面があります。医学は科学に依るが科学を超えて、弱き者、望み破れし者が羽を休める世界であるべきで、このことは、現代人あるいは現代の医学教育では軽視されていますが、私は医学の要諦であると思います。

 

 医学は、生命(いのち)の科学であると同時に、いのち限りある者がいのち限りある者を癒する実践の学です。私は、母の病気を機縁に小学生の頃、長い病いに苦しむ患者の傍に居て、分からないことは研究室に持ち帰って研究する、そんな医師を目指しました。しかし、医学部を前にした高校生の頃、母から「あなたはきれいな花を愛でるが、路傍の花に目をとめない」と言われ、そんなことはないと反発したものの、その後、「真に人を愛せるか?」が一生の課題になりました。

 

 私は聖徳太子を敬愛しています。私の座右の書、太子のご著書三経義疏の一つ、勝鬘経義疏(しょうまんぎょうきしょ)の中の「行善基在帰依」(善を行うの基(もとい)は帰依(頭を垂れて教えを乞う)に在り)には随分と励まされて来ました。法華経義疏(岩波文庫)には、動物達が山火事から逃げて崖に直面し絶対絶命のそのとき、大きな鹿が現れて身を横たえその背で動物達を対岸に渡らせ、その後鹿は力尽きて谷底に落ちた、とありました。医師はこの鹿だと思いました。鹿の如く谷底に落ちて大丈夫か? 私はこれまで白い巨塔に生きて、他より己を優先する我が身を省みています。聖徳太子の「世間虚仮 唯物是真」(勝鬘経義疏)は、仏教は巷の社会批判とは異なって、「世間」すなわち社会悪も自らに責任があると受け取るので、世間はすなわち私自身です。「世間虚仮」は太子ご自身の痛烈な反省であると思います。

 

 若い頃、「仏の教えは鳩が翼に水を付けて山火事を消しに行くようなもの」と恩師宮地廓慧和上(本願寺勧学、京都女子大名誉教授)から教えられましたが、鳩が運ぶ水など現実には役立ちません。しかし私は今、行為が真実ならば永遠の時空にかけて成就する、のではないかと感じています。顧みると、世の偉大な事象は、投獄の末南アから人種差別を撤廃した故マンデラ大統領も、ナイチンゲールも、すべて真実に端を発しています。昔インドの長者がお釈迦様を歓迎すべく道中に万灯を灯し、そこに貧者が一灯を寄進しました。いざお釈迦様がお出でになると、大風が吹いて万灯が消えた中、貧者の一灯は高く燃え上がり梵天まで照らしたとあります(法華経義疏)。

 いのちは本来、何年、何才と固定されておらず、刻々に死しては生まれて動的です。だからこそ、「日々新た」であり、道元禅師が仰る通り、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて 涼しかりけり」(道元禅師)と、生きとし生くるいのちは自然です。そのいのちに、医師として寄り添い、多少とも癒すことができれば、そして出来る限り真実であるように、心掛けたいと思います。

Bonne Grace

 臨床、すなわちベッドサイドにおける医師の役割は、医学をよいマナーで患者に伝えること、と理解している。医師は一方で医学研究に携わり明日の医学の開拓に寄与しているが、私は「よいマナーで伝える」という医師の役割は、これに劣らず、時代を超えて普遍的に重要と考えている。医学は、技術的に正確かつ最新であるのは元よりとして、患者に正しく伝えられてはじめて生きる。すなわち、如何に優れた医療も、伝え方次第で良くも悪くもなると、反省を込めて心得ている。

 よいマナーは、社会生活にも重要で、最近は乗り物の予約の際などにも感じるが、とくに若い人たちの応対が格段に改善されて来て、無理に敬語を使おうとして時代劇口調になったりする人がないではないが、全体として社会が心地よくなって来たと感じている。マックの店頭などの応対が型通りと嫌う人もおられるが、門前の小僧習わぬ経を読むの例えの通り、型に嵌められているうちに自然と丁寧な応対が身に付くのは、むしろ、よいことだと思う。優しく接して、相手が喜ぶ姿をみて、ひとはさらに優しくなれる。わが国はむかし金持ちニッポンと揶揄されたが、今やわが国民の品位は向上して、文字通りGentleman(穏やかな人)が住む一流の国家になって来たと思う。

 私は今年、実写版の映画シンデレラ(ディズニー)に魅了されて、十数回見てしまった。そして、見る度に感動して幸せな気持ちになっている。主人公エラが母の遺言、勇気と優しさ(have courage and be kind)を胸に、強く生きて、継母や義姉の酷薄な扱いを妙(たえ)に受けとめて、周囲への優しさを忘れない。黄金の馬車、トカゲの従者、ガチョウの御者、眩いブルーのドレス、宮殿のダンス、ガラスの靴、そして美しくて優しいシンデレラ。ストーリーのすべてが愛らしく、慎み深く、そして美しい。宮廷での舞踏会のダンスシーンなどは映画史に残る傑作ではないかと思う。原作はサンドゥリオンCendrionという名のシャルル・ペロー作の短編で、長靴を穿いた猫や眠れる森の美女などと一緒に、コントContesというタイトルの一冊の本に収められている。そして、それぞれのお話の末尾には、Moralite(教訓)と書かれたページがあってこれが如何にも昔の本らしいのだが、シンデレラの章ではそのMoraliteの第一に、女性らしさや男性らしさなど、それぞれの性に固有の冒し難い美しさが賞賛されてある。確かに、どんな女性にも女性固有の嫋やかさがあるし、どんな男性にも固有の強さや優しさがあって、それぞれ超え難くしかも美しい。シンデレラの場合はさらに、降り掛かる不幸に反旗を掲げるのでなく、これを妙に受け止めて挫けず、しかも周りに優しい。これが何とも美しい。Moraliteの第二には、bonne graceが取り上げられている。フランス語でbonは良い、女性名詞の前ではeが付けられて発音の関係上nが重ねられてbonneとなって女性名詞graceにかかる。grace(グラース)は英語のgraceに近いと思われるが、辞書を繙くと英語の意味するところ以上に、優雅さ、気品、慎み深さ、慈愛、さらには、許す、恩寵という訳語まであって、これらすべてを含んだ概念がgraceであると思われる。映画では、さんざん意地悪された継母に対して王妃になるシンデレラが、「あなたを許します」と最後に言う。原作では、シンデレラは随分と意地悪された姉たちを恨まず、それぞれ貴族と結婚させている。子供のころ教えられた「恨まざるを以って恨みの根を滅ぼせ」の世界であると思って感動している。

 そのシンデレラは、王子だけでなく動物たちにも慕われ、助けられる。そんなことが現実にあり得るのだろうか?この問いに対する答えは、今の私にはない。答えられるほど心が澄んでいないと思うからだ。しかし、自身の一生を通じて是非とも知ってみたい答えでもある。

 因みに、私は猫が大好きで、猫も私が大好きだ。私の中学生の頃はなぜか犬派が幅をきかせていて猫好きというと何とも変人であるという風に顔をしかめられ、私はずっと隠れ猫派に甘んじていたが、最近は猫派が多くなって大変気分がよい。でも、猫が私を助けてくれたか、覚束ない。

 さて、お釈迦様の入滅に際して、弟子はもとより象やウサギまでが嘆き悲しんだと釈迦涅槃図には示されてあり、悲しい場面ではあるが、なんとも温かい雰囲気であると感じている。またわが国では、道鏡を次期天皇に押すべきかの孝謙天皇の問いに対する答えを九州の宇佐神宮に仰いだ折、和気清麻呂が使者に立ち、否というご神託を持ち帰った。その故に、彼は直ちに罷免され、故郷岡山の自身の和気の所領をすべて失った。その後名誉が恢復され厚遇されたというが、その間の心痛は如何ばかりであったか、偲ばれる。ひとはしばしば、ただ、正しく生きるために、甚だしい苦難に直面せねばならない。だから多くの人々は、体制に依って妥協して自身の保全を計り、また懸命に権力を求めるのであろう。その宇佐に下向する和気清麻呂を、道鏡の刺客からイノシシが守ったとされ、岡山の和気神社では猪がご祭神になっている。私も家内と共に、藤の美しい初夏に、詣でたことがある。和気清麻呂は現在、救国の士と見做されているようで、江戸城のお堀端には、皇居に向いて威儀を正して立つ和気清麻呂像がある。

 また昔、インドのある村で、お釈迦様がお出でになるというので、村の長者が沿道に万灯を照らしてお釈迦様を出迎えた。その際、一人の貧しい老婆が一灯を寄進した。さて、いざお釈迦様がお出でになる段になったら、大風が吹いて沿道の万灯が消えてしまった。しかし、貧者の一灯だけは消えることなくさらに高く燃えて梵天まで照らしたという。曰く、真実だから消えなかったと。

 高校生の頃「人問わば海を山とも答うべし 己が問わば何と答えん」と教えられたが、自らに正直であるのは本当に難しい。ワシントンのような人はまれである。およそ人の世は嘘に嘘を重ねても、多くの場合強者が同時に正義をも勝ち得て、歴史は勝者の歴史であるのが常である。それでは、真実は無意味なのであろうか?私は昔、恩師宮地廓慧和上(西本願寺勧学、京都女子大名誉教授)から、「仏の教えは鳩が翼に水を付けて山火事を消すようなもの」と聞かされたことがある。お経にそう書いてあるとのことで、確か法華経義疏(聖徳太子著、花山信勝校訂、岩波文庫)で私も読んだように思う。確かにその通り。仏の教えに実効性はない、と人生を幾許か歩んでみて、そう思う。しかし同時に、実効性なくとも、あるいは実効性がないからこそ、その思いすなわち真実が永遠の時空を貫いて末通るのかも知れない、とも思う。そう思ってみると、「愛語よく回天の力あり」(道元禅師、懐奘著、正法眼蔵随聞記、岩波文庫)とあるし、よく見ると、世の偉大な事績は、近くは故マンデラ大統領まで、すべて真実に端を発している。真実は人を動かすのだ。

 ところが、私の心には真実がない。真実を装っているだけだから、いざという時に役立たないのではないか、と思ってしまう。だから、動物も助けてくれず、また奇跡も起きないと。もし私の心が、「濁りなき心の水に住む月は 波も砕けて光とぞなる」(道元禅師)ほどに徹底して澄み、末通って真実であれば、シンデレラのような奇跡が実際私にも起こり得るのではないかと、そのようにも思うのである。モーゼが海を割ったとか、私は決して奇跡をそのまま信じる者ではないが、これもあり得ないことではないのかも知れない。自らが見たり、理解したりできない事柄を全て、ばかばかしいと一笑に付す前に、自らを、すなわち自身の生き方が真実であるか否かを、静かにふりかえってみるべきではなかろうか。

 医師を天職と心得え、よい医師になりたいと願う私には、bonne graceは医師であるための重要な資質であるように思われる。graceを慎み深さと訳してよいのかフランス人でない私にはよく分からないが、シンデレラの人となり、からはそういった印象を受ける。科学や法律は正邪を分ける世界である。しかし、bonne graceは正邪を超えて、しかもこれを包む、許し許される恩寵の世界、ではないか。またそうでなければ、生きること即ちパワーのこの世において、壮健でパワーがあるうちはよいがお釈迦様の四苦(生、老、病、死)のとおり、その力を失った病者が心身を委ね真に癒される世界があり得ないのではないかと、そう感じている。

高い志

 先日、東京であった研究会の翌日、家内と連れ立って、銀座から新装なった歌舞伎座をへて築地に行き、寿司を食べてから築地本願寺を訪ねた。その御堂(みどう)は、本願寺の別院で、元々は関東に在った親鸞の弟子達の布教の中心道場であり、当初は別の場所に在ったが2回の焼失をへて現在の地に建てられた。興味深いのは、幕府から指定された当地が往時は海上だったことで、それを門徒宗が頑張って埋め立てて今日の姿にしたという。これには感動した。元より江戸は、秀吉の命により恵まれた東海の地から湿地の関東に移封された徳川家康が、埋め立てて築いた都である。したがって、幕府も本願寺をいじめるべく企図したのではないと思われるが、浄土宗の篤信家であった家康もまた本願寺門徒も、「ゼロからの出発」を平然と受けて立ったその心意気は見事である。この地にお堂が立つまで22年かかり、大正時代に現在のインド様式の優雅なお堂が立ったという。

 「至りて柔らかきは水なり 水よく石を穿つ もし心源徹しなば 菩提の覚道 何事か成ぜざらん」といえる古き言葉がある。病に耐えて優しかった母も、同じようなことを言っていた。母が病気であったため、私は周りの子供たちと違い、七五三も鯉のぼりもなく、入学式も卒業式もいつも一人だった。しかし、父母の愛情が深かったことは今よく分かる。母は入院していて家庭らしい家庭を築けなかったとずっと詫びていたが、しかし形はなくても十分暖かい心に満ちた家庭であったと感謝している。小学生のとき、治らない患者さんのベッドサイドにいてその慰めとなり、分からないことは研究室に持ち帰って研究するそんな医者になりたいと願った私のいのちの原点もそこにある。

 古事記に宝を目指す三兄弟の話がある。二人の兄は両親から武器や兵士などを譲り受けるが、末弟には残りがなく意志の力が与えられる。しかし、旅の途中武器は嵐にさらわれ兵士は離反し兄たちは挫折してしまう。すなわち、形はいつかは崩れ去る。しかし、弟だけはその強い意志の力で何度もゼロから再出発して終に目的を遂げ美しい姫君を妻とする。因みに、古事記は、素戔嗚尊の八岐大蛇退治とクシナタヒメのラブストーリー、そしてその子の大国主命とその因幡の白ウサギの物語など、なかなか面白い。因幡の白兎の白兎神社(はくとじんじゃ)が鳥取の海岸にあるが、家内が兎年であることから親しみをもってしばしば訪れていた。ガマの穂もその地で初めて見た。当時はほとんど人が訪れず寂れていたが、今年は行ってびっくり。舗装され観光バスが連なり、ウサギ焼きというよろしくない名前のたい焼きまで売っていて、参道にもウサギのフィギュアがぎっしりだった。

 さて、人生はつくづく大変だと思う。聖徳太子の仰言る「世間虚仮 唯仏是真」は本当だと、自らを省みて実感している。それでもしかし、父母の深い愛情に育まれ、師友に恵まれて今日に至ったことは幸せであった。美しい心と高い志、そしてたゆまぬ努力、このことが人生を明るくしてくれる。

講演の要領

 私は学生の頃から国語、とくに作文が苦手で、何を書いていいのか見当がつかなかった。今から思えば、小学生は人生経験が少ないので書けといわれて書くべきテーマが見当たらないのも当然かも知れないが、私は小学校で習う九九算も覚える必要なしと判断し3年生頃まで抵抗した。その後、覚えた方が便利なことが分かってからは覚えた。理科では花を示されて花の名前を覚える授業も興味が湧かず、後ろを向いて座っていた。当然、試験も零点だった。この反面、自由自在という当時では珍しい参考書の装丁がいったん気に入ると、今度は学校の強制でない分余計に気合が入って、隅から隅まで勉強してしまい、次は5000題(参考書)といった具合に徹底するものだから、参考書を算数から理科と、揃えて悦に入るうちに成績も群を抜いた。因みに、こうした性格からか、私はいわゆる秀才でなく学校に馴染めない連中と仲が良かった。

 ところが研究では、書かない訳にはいかない。最初の文章は悩み苦しみ抜いて、数週間以上かけて仕上げた記憶がある。いちいち家内に読んで直してもらった。助手時代に受け持った最初の大学院生は、国語はいつも満点だったと言う。ラッキーとばかりに、彼に文章を直してもらうことにした。しかし、彼の書く文章は確かに通りがよく文法も合っていたが、文にパンチがない。素直に読める分、何が言いたいのか分かりにくかった。反対に私の文章は、下手でも、言いたいことが端的に表現されていた。つまり、躓いてはじめて、読者がアレと思い立ち止まってくれて印象に残るのだ。明治の昭憲皇太后の御製「金剛石も磨かずば 玉の光も添わざらん 人も励みて後にこそ まことの徳は表わるれ」とある。工夫は天才に勝る。とくに下手な場合はなおさらで、磨けば光り、上手を超える。

 発表や講演も同じだ。私は人前に出るのが苦手で、若い頃は発表も下手で、瞬間湯沸かし器と綽名された内科の恩師藤田教授から木端微塵に叱られた。叱る教授の方が悪いと友人は慰めてくれたが、私にはそう思えなかった。叱られるには叱られるだけの理由があると考え、欠点を克服して教授を黙らせてみよう、と奮起した。この結果、今では私の講演はとくに評判がよい。教授が退官される折、「君にはずいぶん辛く当たったが、君は不思議と叱る度に大きくなった」と仰言った。それならもっと早く厚遇してくれよと複雑な心境だった。こうした素直さは私の数少ない長所の一つだ。

 文章も講演も、その分野に馴染のない人にみてもらうのが一番だ。一般の講演なら、小学生が聞いて感動を寄せてくれるのが一番だ。電気化学など多くの分野で偉大な業績をあげたファラデーをご存じと思うが、彼が王立科学院で一般向けに行った講演集「ろうそくの科学」が岩波文庫にある。私はこれを大学生の頃読んで感動した。よい講演は、前もって知識を持たない人に、一から説き起こして最先端の成果にまで誘導し、感動に至らしめる。教室では、発表の下手な学生には、後輩の一年生に発表を聞いて直してもらうよう指示する。プライドの鼻を折る指示だから、大概の学生は怒る。しかし、苦労した末その発表が学会などで褒められるとそこで納得する。もとより下手なプライドなど持たない方が人生は豊かになるのだ。優れた研究は、ずぶの素人を感動させるし、またそのような研究でないと実際役立たない。とくに医学研究は、単に真理を見出すのでなく、その発見が患者の利益に寄与(できれば直結)しなければならない、だから発表も分かりやすくあるべき、と私は考えている。