高い志

 先日、東京であった研究会の翌日、家内と連れ立って、銀座から新装なった歌舞伎座をへて築地に行き、寿司を食べてから築地本願寺を訪ねた。その御堂(みどう)は、本願寺の別院で、元々は関東に在った親鸞の弟子達の布教の中心道場であり、当初は別の場所に在ったが2回の焼失をへて現在の地に建てられた。興味深いのは、幕府から指定された当地が往時は海上だったことで、それを門徒宗が頑張って埋め立てて今日の姿にしたという。これには感動した。元より江戸は、秀吉の命により恵まれた東海の地から湿地の関東に移封された徳川家康が、埋め立てて築いた都である。したがって、幕府も本願寺をいじめるべく企図したのではないと思われるが、浄土宗の篤信家であった家康もまた本願寺門徒も、「ゼロからの出発」を平然と受けて立ったその心意気は見事である。この地にお堂が立つまで22年かかり、大正時代に現在のインド様式の優雅なお堂が立ったという。

 「至りて柔らかきは水なり 水よく石を穿つ もし心源徹しなば 菩提の覚道 何事か成ぜざらん」といえる古き言葉がある。病に耐えて優しかった母も、同じようなことを言っていた。母が病気であったため、私は周りの子供たちと違い、七五三も鯉のぼりもなく、入学式も卒業式もいつも一人だった。しかし、父母の愛情が深かったことは今よく分かる。母は入院していて家庭らしい家庭を築けなかったとずっと詫びていたが、しかし形はなくても十分暖かい心に満ちた家庭であったと感謝している。小学生のとき、治らない患者さんのベッドサイドにいてその慰めとなり、分からないことは研究室に持ち帰って研究するそんな医者になりたいと願った私のいのちの原点もそこにある。

 古事記に宝を目指す三兄弟の話がある。二人の兄は両親から武器や兵士などを譲り受けるが、末弟には残りがなく意志の力が与えられる。しかし、旅の途中武器は嵐にさらわれ兵士は離反し兄たちは挫折してしまう。すなわち、形はいつかは崩れ去る。しかし、弟だけはその強い意志の力で何度もゼロから再出発して終に目的を遂げ美しい姫君を妻とする。因みに、古事記は、素戔嗚尊の八岐大蛇退治とクシナタヒメのラブストーリー、そしてその子の大国主命とその因幡の白ウサギの物語など、なかなか面白い。因幡の白兎の白兎神社(はくとじんじゃ)が鳥取の海岸にあるが、家内が兎年であることから親しみをもってしばしば訪れていた。ガマの穂もその地で初めて見た。当時はほとんど人が訪れず寂れていたが、今年は行ってびっくり。舗装され観光バスが連なり、ウサギ焼きというよろしくない名前のたい焼きまで売っていて、参道にもウサギのフィギュアがぎっしりだった。

 さて、人生はつくづく大変だと思う。聖徳太子の仰言る「世間虚仮 唯仏是真」は本当だと、自らを省みて実感している。それでもしかし、父母の深い愛情に育まれ、師友に恵まれて今日に至ったことは幸せであった。美しい心と高い志、そしてたゆまぬ努力、このことが人生を明るくしてくれる。