講演の要領
私は学生の頃から国語、とくに作文が苦手で、何を書いていいのか見当がつかなかった。今から思えば、小学生は人生経験が少ないので書けといわれて書くべきテーマが見当たらないのも当然かも知れないが、私は小学校で習う九九算も覚える必要なしと判断し3年生頃まで抵抗した。その後、覚えた方が便利なことが分かってからは覚えた。理科では花を示されて花の名前を覚える授業も興味が湧かず、後ろを向いて座っていた。当然、試験も零点だった。この反面、自由自在という当時では珍しい参考書の装丁がいったん気に入ると、今度は学校の強制でない分余計に気合が入って、隅から隅まで勉強してしまい、次は5000題(参考書)といった具合に徹底するものだから、参考書を算数から理科と、揃えて悦に入るうちに成績も群を抜いた。因みに、こうした性格からか、私はいわゆる秀才でなく学校に馴染めない連中と仲が良かった。
ところが研究では、書かない訳にはいかない。最初の文章は悩み苦しみ抜いて、数週間以上かけて仕上げた記憶がある。いちいち家内に読んで直してもらった。助手時代に受け持った最初の大学院生は、国語はいつも満点だったと言う。ラッキーとばかりに、彼に文章を直してもらうことにした。しかし、彼の書く文章は確かに通りがよく文法も合っていたが、文にパンチがない。素直に読める分、何が言いたいのか分かりにくかった。反対に私の文章は、下手でも、言いたいことが端的に表現されていた。つまり、躓いてはじめて、読者がアレと思い立ち止まってくれて印象に残るのだ。明治の昭憲皇太后の御製「金剛石も磨かずば 玉の光も添わざらん 人も励みて後にこそ まことの徳は表わるれ」とある。工夫は天才に勝る。とくに下手な場合はなおさらで、磨けば光り、上手を超える。
発表や講演も同じだ。私は人前に出るのが苦手で、若い頃は発表も下手で、瞬間湯沸かし器と綽名された内科の恩師藤田教授から木端微塵に叱られた。叱る教授の方が悪いと友人は慰めてくれたが、私にはそう思えなかった。叱られるには叱られるだけの理由があると考え、欠点を克服して教授を黙らせてみよう、と奮起した。この結果、今では私の講演はとくに評判がよい。教授が退官される折、「君にはずいぶん辛く当たったが、君は不思議と叱る度に大きくなった」と仰言った。それならもっと早く厚遇してくれよと複雑な心境だった。こうした素直さは私の数少ない長所の一つだ。
文章も講演も、その分野に馴染のない人にみてもらうのが一番だ。一般の講演なら、小学生が聞いて感動を寄せてくれるのが一番だ。電気化学など多くの分野で偉大な業績をあげたファラデーをご存じと思うが、彼が王立科学院で一般向けに行った講演集「ろうそくの科学」が岩波文庫にある。私はこれを大学生の頃読んで感動した。よい講演は、前もって知識を持たない人に、一から説き起こして最先端の成果にまで誘導し、感動に至らしめる。教室では、発表の下手な学生には、後輩の一年生に発表を聞いて直してもらうよう指示する。プライドの鼻を折る指示だから、大概の学生は怒る。しかし、苦労した末その発表が学会などで褒められるとそこで納得する。もとより下手なプライドなど持たない方が人生は豊かになるのだ。優れた研究は、ずぶの素人を感動させるし、またそのような研究でないと実際役立たない。とくに医学研究は、単に真理を見出すのでなく、その発見が患者の利益に寄与(できれば直結)しなければならない、だから発表も分かりやすくあるべき、と私は考えている。